「Good English」に縛られている人が心配なんです!

お手本にしたいような英語って、確かにあります。そういう英語を身につけたいという気持ちもわかります。そういう「これが正しい」的な英語を、たとえば「Good English」と呼ぶとしたら、私にはちょっと心配なことがあるのです。それは、多くの人がこの「Good English」に縛られているのではないか、ということなんです。

 

綺麗な発音と、教科書通りの文法じゃないと、どうしてもダメですか?親しい人に感謝の気持ちを伝えるとき、「私はあなたの言動にいつも感謝しています」とか言います?後輩が失敗してしまったけれど、凹んでしまわないように気を使うべきシーンで「あなたは本来高い能力を保持しているはずだ。しかしあなたの今回の失敗は会社に大きな損害を与えており、かつここ数年進歩している様子が見られない」とか、ストレートに言っちゃいます?

 

きっと「Good English」に縛られている人って、そもそもの「自分の気持ちが伝わる英語」から、どんどんと離れていってしまうのではないか、と心配なんです。

 

カラオケマシンでどれだけ高得点出せても、人の心は動かされへんのと同じやな。

冷たい印象を与える人って、どんな人やろ?自分の気持ちを明かさんと、杓子定規に正しい言葉だけを並べとる、そんな人ちゃうかな。あんた自身が冷たい人やないとしても、英語ではそんな話し方しかできへんとしたら、それはとても損なことやとワシは思うねん。

 

自分のキャラクターとか言いたいこと、その場の雰囲気なんかを総合して相手に伝えられへんのやったら、コミュニケーションの意味ないと思えへん?それやったら、英語でもそういうことを意識しようや。あんたの暖かい人格とか、杓子定規じゃない考え方とか、伝わらへんのはもったいないで。

 

教科書の猿真似の域を超えへんような英語は、歌でいえば「カラオケマシンの点数だけめっちゃ高い」ようなもんや。そんなんやったら、誰の心も動かせへんやろ。歌心、どこに忘れてきたんや?ってことやな。

 

オックスフォードの文法や、クィーンズイングリッシュ風の発音も大事やけど、それ以上に大事なんは、自分の個性にあった「My english=『Me』」ちゃうかな?プロレス風にいうなら、「Good English」よりも、どこでも自分を素早く受け入れてもらえる「Strong English」なんやと思う。

 

これが正しい、っていう一元的な価値観は、自分自身を縛ってしまうことになるはずや。童子の心配は、的を射ているといえるな。

 

 

※当サイトは、ユーザーとともにコンテンツを生み出していく『User-Generated Media』です。記事へのご感想はもちろん、「英会話」にまつわる様々な疑問やご意見がありましたら、以下コメント欄よりぜひご投稿ください。英会話仙人&童子があなたに代わってモノ申します!