日本人の「英語に対する自己評価の低さ」は、そろそろ卒業してもいいかもしれません。

日本では、自分の国のことを「英語がしゃべれない国」と感じている人、多いようです。何かが欠けているような、世界の趨勢から取り残されているような、そんな気分。仙人様もおっしゃっていますが、そういう負い目のようなものから脱却しないと、英語と正しく向かい合えないかもしれませんよ。

 

日本では古来、言語習得に対して、とても貪欲でした。たとえば漢文。当たり前の話ですが、もとは中国語ですよね。「レ点」「一二三点」「甲乙丙点」などの返り点を発明して、日本語に翻訳したものが漢文です。また、オランダ語の医学書を翻訳した『解体新書』は、1770年代に書かれました。日本初の翻訳書としても有名ですが、そもそも鎖国している頃で、なおかつロクな辞書だってなかったのに、先人たちはやり遂げたんです。

 

情報や知識を得るという情熱を実現するために、外国の言葉を分解し、解読し、ときには新しい言葉を発明しながら翻訳する。これって、ある意味テクノロジーですよ。そういうことができる日本人なのですから、この国は「英語がしゃべれない人」の集団、というわけじゃないんです。むしろ、「外国語が得意な国」が日本なんです。

 

コンプレックスを盾にして、飛び込まない理由を探してたらアカン!

さすが我が弟子、歴史的背景からいい教訓を導き出しておる。ま、ワシの指導の賜物なんやけども。

 

それはさておき、日本人の英語に対するコンプレックスについて、や。日本は「英語がしゃべれない国」ではなく、「喋る必要がなかった国」やねん。なんでかっていうと、英語とかの外国語は「外国の知識を得るための、書物の上のもの」やったからや。しゃべらないほうの外国語、というジャンルがあるのなら、日本は世界一かもしらんで。実際、母国語に翻訳された洋書の多さは、世界一なんやからな。

 

義務教育でも英語を習ってるし、どんな人でも実は英語の素地があるんや。だから、英語に対するコンプレックスはまったくの無用。英語圏の人を前にしてアワアワしてまうのは、単に慣れていないからや。そういう機会がなかったから。ただただそれだけ!英語を自己表現のツールとして認識し直せば、そこにコンプレックスが入り込む隙間なんてあらへんはずやで。

 

 

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