「生徒のために講師がいる」っちゅー当たり前のこと、忘れてへんか?

あんなぁ、「生徒中心主義」をうたっている英会話スクール、山ほどあるわな。というか、どこもかしこも、「うちは生徒中心主義!!」とか言うてるやろ?ワシからしたら、どこがやねん!って思う英会話スクールが大多数や。

「うちは個別にカウンセリングをして、個々に合わせた英会話をコーディネートしています!」とか、そんなもん当たり前やろ。問題は、その後の中身や。

英会話スクール側の教育方針、学校側でカテゴライズしたテキスト・コース、講師それぞれの持ってるノウハウとかメソッド、その中に生徒をどう当てはめるか、っちゅうパズルみたいなことやってるだけ。

 

英会話スクール側や講師側としてはラクやと思うわ。自分の土俵の中で「これは世界的に有名なノウハウ・メソッドで、実績もあって、このやり方をしていれば誰でもどこでも通用します」って言うておけば、なんか箔がつくし宣伝にもなるわな。でもそんなことやってて、なにが「生徒中心主義」やねん!とワシは思う。

 

たとえば生徒さんがな、こんな要望を持っていはったとしようや。

「わたしは外資の金融系に勤めてるけど、全く異業種の日系企業で勤めている外国人の彼氏がいて、次の長期休暇に彼氏の親御さんに挨拶に行かなければいけない」「資金運用の相談もしたいと親御さんに言われている」

そういう状況のときにな、講師が「まあそういうときに使える英語を学びたいのはわかるけど、まずはこのメソッドの基礎を頭に叩き込んでからじゃないと意味がないですよ」とか押し付ける。そんなもん愚の骨頂や!

要するにその講師は、自分の土俵にまず持ち込みたい、それをベースにした上で、生徒に応用を教えたい、っちゅーことやろ?そんなもん、なにが「生徒中心主義」やねん!講師中心主義、もっと言えば、スクール中心主義やろ?アホか!

勘違いも甚だしいわ。ええかげん気づけや!

 

そもそも教育って誰のためなんでしょう?

ちょっと大きなお話になりますが、「教育」全般について考えてみましょう。それは誰のためですか?

日本で言う小学校・中学校・高校・大学での教育、その存在意義、誰のためのものですか?誰に聞いても「生徒のため」っていう答えが返ってくるのではないでしょうか?

でもよくよく考えてみてください。学校の中で「教育を受けたい」「学びたい」という生徒さんに上からの目線で「教えてやっている」という目線で。

「いまどきの生徒には積極性に学ぶ姿勢がない」「学ぶことの重要性をわかっていない」と言う先生方もいらっしゃいますが、「なぜ」、生徒さんがそうなってしまっているのか、お考えになったことはありますか?

答えは非常にシンプル。「なぜ」を考えず、ご自身の教育法・教授法の中で押し込めようとしているからです(もちろん、そうでない方も多々いらっしゃると思いますが)。

たしかに、国による教育方針の縛りはあるでしょう。でもその中でも、できることは充分にあるはず。それがなされてこなかったがために、今なおなされていないがために、いつまで経っても「生徒中心主義」が定着しないのだと思います。

だからこそ、仙人さまは、少なくとも英会話スクールの世界から、世直しを考えていらっしゃるのでしょう。そしてゆくゆくは、「教育」そのものに、訴えかけていきたいとお考えなのだと思います。