英会話の真髄は「環境」と「ノリ」や!

こう見えてワシな、サーファーやねん。年に何回かは、ええ波求めて、ハワイ行ってるねんな。そんでワシのちびっ子弟子たちもサーフィンやりながら、現地の学校(語学学校ちゃうで、ローカルの子らが通う普通の学校や)通ってんねん。

 

で、久々に会うちびっ子弟子たちは、そらもう、楽しそうにスクールライフ送ってんねんな。ひと昔前の日本と一緒や。塾とかお受験とかそんなもんと無縁やったころ。

 

子どもらは、学校終わったら家に帰ってきたらランドセルとかカバンを玄関に投げて、仲間と遊びに出て晩飯まで帰ってけーへん。宿題なんてそっちのけや(苦笑)。

 

ハワイっちゅーのは、アメリカ人もおるし、ネイティブ(ロコ)との混血もおるし、ロコもおるし、それ以外の人種・混血もめっちゃいっぱいおるねん。まーロコが一番多いかもな。

 

でも子どもらからしたら、「だから何?」っちゅーハナシで。宿題ほっぽらかして、一緒に遊びまわる仲間以外のなにものでもないわけや。

 

英語がベースとはいえ、ルーツがちゃうから、みんな少しずつ使う言葉とかフレーズがちゃうねん。でもそんなん、遊び仲間の中ではまったく関係ない。

 

自然といろんな言葉やフレーズをものにして、誰とでもコミュニケーション取れるように育っていくねんな。きれいな文法?正しい表現??そんなんあるわけないやろ!

 

考えてみなはれ。日本のアンタらが子どものとき、「私には宿題があります。でも宿題よりも遊びが大切です。だからカバンを家に置いてきて、あなた方の遊びに参加したいです。少々お待ちいただけますか?」なんて言い方してたか?んなわけないやろ!

 

「おう、お前らちょっと待っててくれや(家の玄関にカバンをバーン投げる)。宿題なんて後でやったればええねん!さ、遊び行こか!」

 

まあそんな感じやったやろ?ハワイの子どもらも、ノリは一緒や。言語がちょっとずつ違うだけであって、みんな同じ「環境」におるわけで、じゃあ同じ「ノリ」で話してたら伝わんねん。

 

これは「勉強」やなくて環境や。そんで環境が「ノリ」を教えてくれんねん。別に子どもに限ったことやないで。

 

ワシがこないだサーフィンしよと思ってハワイ行ったときな、なんかワイシャツにネクタイしめて高そうなジャケット着た日本人のオッサンにたまたま会ってん。この常夏のハワイでその恰好している時点で浮きまくりで笑いそうになったわ(苦笑)。

 

話聞いてたら、そのオッサン、なんと大学で英語を教えてる教授先生やってん。ワシが現地のサーフィン仲間と喋ってたときにポカーンって見ててな、「あなたはどうしてそんなにスムーズに英語を話せるのですか?」って聞かれてん。

 

「私は大学から留学資金を出してもらって、SLAという英語教授法メソッドをもう2年学んでいるのですが、あなたみたいにスラスラと英語をスラスラと話せないんです。あなたは何か特別なメソッドを習得されたのですか?」

 

とか聞かれたんやわ。ワシは笑いをこらえて、「いや、ワシはそんなもん、ぜんぜん知らんけど、『環境』と『ノリ』で知らん間に喋れるようになってたんですわ」

 

「ワシの子どもら(弟子)も、なんやここで暮らしているうちに、環境になじんで、ノリで喋れるようになっとったわーって言うとりました」。国とか人種とかルーツとか、まあこの環境におったら、関係ないとワシも思いますわ。

 

そしたら教授先生、ハトが豆鉄砲食らったみたいな顔しとってな(苦笑)。「大先生が真面目に勉強して日本に持ち帰ろうとしているメソッド、そんなもん役に立たんやろー」って心の中で思っとったわ。

 

案の定?っちゅーか、その大先生のお子さん、ずっとハワイの学校に通ってるらしいけど、ぜんぜん英語喋れなくて、「友だちもできないし、もう日本に帰りたい」って泣いとったそうやわ。

 

「May I…」「I think…」みたいにきれいで正しい文法の英語ばっかり大先生に押し付けられとったわけやから、ハワイっていう「環境」におっても、「ノリ」は全く身につけられへんかったんやろな。

その子らが可哀相でしゃーなかったわ…。そんで、全く英語話されへん大先生が日本に帰って、大学生らに何をどう教えんねやろ?って考えたら、ほんまに日本の英会話教育はお先真っ暗なんちゃうか?って情けなくなったわ。。

 

言語は環境や時代とともに、常に変化するものだということです。

すっかり日焼けして帰国した仙人さまの言葉を簡単に解説しますね。

仙人さまはよく、「ノリ」っていう言葉を使うのですが、これは関西人ならでは(?)のいろんな意味を含んだ言葉ですね。

 

チャラけて見えるかもしれませんが、仙人さまの使う「ノリ」という言葉は、「言語のOS」のお話なんです。そして、「環境」というのは、それぞれの英語圏の国・土地の「カルチャー、つまり言語を楽しく効果的・効率的に使うためのアプリ」を指します。

 

PCで考えてみると、「OS」は皆さんご存知のとおり、常にアップデートされますし、アプリは毎日のように新しいものがワンサカ生まれては消え、というのを繰り返していますよね。アップデートのスピードもすさまじい。

 

これ、語学学習も同じことなんですよ。頭のいい皆さんなら、もうおわかりですよね?

 

昔から使われている古いOS(歴史ある、THE・お手本的な英会話メソッド)に固執して、アップデートを拒み続けていたらどうなります?そこに最新のアプリ(現代の英語圏カルチャー)を詰め込んだところで処理しきれます?

 

「今まで使ってきたOSは歴史があるから信奉できる」「処理しきれないアプリならアンインストールしてしまえ!」っていうことを繰り返していたら、このデジタル世界で、あなたは化石になってしまいますよね?

 

こうしてPCに置き換えれば、「そんなことは当たり前」と皆さんは認識されているのに、語学学習に置き換えた途端、「当たり前」じゃなくなってしまうことが不思議です。そしてすごく無駄だと思います。

 

仙人さまの言いたかったことは、こういうことなのではないでしょうか?